なる 「自分=世界」

本当の意味で「願望のために何もして来なかったこと」はない!!

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知らない間に前回の記事のコメント数がすごいことになってますね…。まあ、私としては活発な意見交換でサポートし合ってくださるのは大変嬉しく感じるのですが、私は波に乗れず置いていかれているので、とりあえず適当に書いていきます。

「今のままで何もしなくていい」と聞くと、おそらくすごくエゴが騒ぐと思います。「えー、今のままだったらダメじゃん。それだったらこの現実がずっと続くだけじゃないの?」とエゴは思うんですね。

でもよく考えてみてもらえればわかるんですけど、今のあなたの現状って何もせずに出来上がったものじゃないですよね? 汗水たらしながらとかダラダラしながらとか、どんな時も「不足を前提に何かをして」今の世界を認識してきたはずなんです。今の世界は不足に導かれたあなたの作為の結果なんです。

つまり、あなたは本当の意味で「願望のために何もして来なかったこと」はないのです。だからもう「疲れたわい。もう願望なんてしらん」とポイッとしちゃうと不足がなくなるので、こういう言い方はどうかとは思うんですが、何もしないことが願望への近道となります。

近道とは現象化という意味で、実際には追い求めない内面は叶っているそのものです。後は勝手に世界が流れてくれます。

「いやいや、体感なり刺激がないと、そんな心境になれねーよ」とまたエゴは思います。そういうエゴちゃんのためにメソッドがあるわけです。

ただ在り方(前提)を変えるか、メソッドを迂回するかそれだけの違いで、自分に合う方を採用すればいいと思います。

ですから「なる」に関してはメソッドっぽく思われがちですが、在り方の変更なので前者の方です。故にエゴには難しいのかも知れませんが(これもエゴ的な発想ですが)、ラリ子さんのようにアファメーション(メソッド)というエゴの立ち位置から入っても、結局は「なる」のような状態に行き着きます(「自分=世界」)。

今までは、現象化が起きる→叶ったと認める、の順番でしたが、今は逆算です。私の世界では私は精神的にも肉体(物理)的にも北川景子である(絶対覆せない固定された事実)→ということは鏡にうつる私は精神的にも物理的にも北川景子でなくては可笑しい、たとえ鏡にうつる姿がまったく北川景子には見えないとしても、私が精神的にも肉体・物理的にも北川景子であるという事実は覆したくても決して動いてくれないのだから仕方がない
という順番です。

逆に言えば、なっちゃえばそこが終着点なので、「わしは『なる』に恋してるんじゃい」と言う方のために、私が「なる」を実践していた上で根本的に間違っていたことを紹介します。

まあ、耳タコなことかもしれませんが、例えば好きな人の恋人に「なった」とします。私はここで「なった」から、あの人と街ですれ違うかもとか期待していたのですが、これは根本的におかしいですよね(笑)。

普通「なって」いたら、次の休みはどこにデートに行こうかとかになりますよね。「あの人とすれ違うかな」って、恋人ではないという世界に対する意思表明ですから、いつまでたっても世界が変わらないはずですよね。まあ現実のチラ見ってやつですが、昔の私はいつもこんなことをしていました。

で、「なる」をやめて違うメソッドをして、また「なる」に戻ってきて……(以下ループ)。

本当の「なる」なら、「欲しい」のもう一歩向こう側に思考が飛んでいるはずなんです。まあ、イメージングみたいなものですが、それを獲得している前提でこの世界を楽しめばいいんです。

正しく「なれ」ていれば、在り方(認識、前提)が変わるので、自然に思考の質も変わっていきます。逆にその思考の質を意識していけば、在り方も修正されるので、そう難しくはならないと思います。

ちなみにラリ子さんの最後のお別れコメントは現在進行形で認識の変更された方の生の声が聴ける貴重なものなので、皆さんも目を通して頂きたいと思います。

ただ「ラリ子さんはこのやり方で現象化したから私もそれを真似しよう、理解しよう」となる必要ないです。共感する部分があれば大いに共感して、わかんなければ放っておいて、何か気になった時に読み返せばいいのです。もちろん、私は全てを理解できるという前提で読むのもいいです。

それでは皆さん、私のブログは今回を持ちまして終了にしたいと思います。ありがとうございました。

 

……平成での

 

 

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