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アルファポリス

なる 願望実現「野村ID(理論)」編

「なる」はガチ!?

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サンタクロースブログ開設から今回で数えて8回目の投稿となりますが、ブログニストとしては初の投稿となります。タイトル上のキャッチコピーも密かに「ブロガー」から「ブログニスト」に変更していますので、そちらも併せてご鑑賞ください。〇職なって初めてのクリスマスを迎えますが、私は元気です。

さて、私は前回、ニスト(ブログニストの略称)として新生を遂げたわけですが、特段私自身、変わった変化はございません。見える景色も何も変わりません。しかし、それでも私はニストなのです。ニストであることに根拠はいらないのです。

コイツ、何言ってるんだという方のために、ここでその論理を振り返りますと(「師弟の絆」の記事参照)、自分であるという根拠に実体がないにも関わらず自分であると認識できるのであれば、根拠を求めることなくどんな自分にでも設定できるのではないか、というものです。つまり、ニストにもサンタにもなれちゃいますし(イブなので時事ネタを)、願いが叶った自分にもなれちゃうというわけです。

これはすぴりちゅある業界ではわりと馴染みのあるやり方で、「直結」とか「なる」とかそういった呼称のされ方をしています。自分が求めている姿に内面でなってしまえば、その瞬間から外界もそのように一変するというものです。パラレルシフト的なイメージですかね。結論から申しますと、この理論はガチなんですね。これが全てと言っても差し支えないです。

「えー、そうなんだ! 今、私の願いが叶ったんだ! うれしい! みんなー聞いて! 私、願いが叶ったよ! 芦田愛菜だよ!」と、素直に受け入れられる人は違う意味で既にハッピーな人でしょう。むしろ自分の信じる道を大いに突き進んでいって欲しいところです。そのようなごく少数の人たちを除いて、ダイレクトにこのやり方で願望を叶えちゃう人というのはあまり多くはないと思います。

なぜなら「なる」はシンプルだからです。なって(叶って)しまえば何もすることがないのです。人は大半の時間において自分(エゴ)になっています。しかし、なっている自覚なんてないですし、自覚がないわけですから、自分が自分であるという証拠も探さないわけです。(映画「ボーン・アイデンティティー」を地で行くような、自分が誰であるのか血眼になって証拠を探している方がいらっしゃいましたら、すみません)。この境地が「なる」なのです。しかし多くの人がなった後で、その証拠を外界に求めます。証拠を探すという立ち位置は元の「なっていない」自分です。つまり、皮肉にも渇望していたはずの「なっている(叶っている)」という状態は激しくエゴを揺さぶってくるのです。その揺さぶりにほとんどの人が「なる」を解除してしまうのです。シンプルゆえに難解なのです。

難解だからと言って「なる」を推奨していないわけではありません。人によってはスムーズになれる方もいらっしゃると思います。ですので、次回は「こまけぇこたぁいいんだよ! 俺は『なり』てぇんだよ!」という「なるシスト」な方のために、もう少し「なる」について加筆しようと思います。

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