俗に言う「認識の変更」編

「認識の変更」後の日常とは

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図書館いやぁ、今回ばかりは私も堪忍袋の緒を緩めざるを得ませんね。あ、何のことかと申しますと、グラビアアイドルの稲村亜美さんが集団痴漢に遭われたという事件です。3月10日に行われた「日本リトルシニア中学硬式野球協会関東連盟」の開会式で、始球式を終えた稲村さんに、周りで囲むように整列していた中学性球児たちが突如としてアメーバーのように接近し、その混乱に乗じてあるまじき行為が行われたということです。

野球オンリーで九九も危ういような思春期真っ只中のオスの群衆へ豊満な女性を一人放り込んでしまった運営側の不手際もありますが、やはり第一義的に糾弾されるべきは稲村さんを襲った中学生たちでありましょう。

「わたし自身は貴重な経験をさせてもらえました」と稲村さんがご自身のインスタグラムでややMっぽさを滲ませながら大人の対応をされたことに甘受し、未成年だからと捜査当局がこの事件をうやむやにしてはなりません。

行為に関わった中学生らを漏れなくしょっ引いて、どの部位を、どのように触り、その感触はどうだったのか、そしてその時の稲村さんの反応はどうだったのかなどと厳しく調書を取り、それをネット上に公開することが痴漢撲滅、ひいては青少年の更生のために、今求められていることではないでしょうか。そのような善後策なしに、私の怒りは到底収まりそうにありません。

稲村亜美 稲村亜美1st写真集どまんなか

被害者の稲村さんのご尊顔です。一歩間違えればブスサイドに転落してしまうその程よい美女加減が、中学生たちの野獣への認識変更を助長したのでしょうか。

ちなみにAmazonのリンクを貼っているのは何も小遣い稼ぎをしようなんていうケツの小さい理由ではなく(勝手にお金は入ってきますので)、他の広告同様、こういったリンクがあるとデザイン的に何だかデキるブログに見えるんじゃないかという中二病的な発想でございます。

以上、中学生たちがグラビアアイドルを眼前にしてダメな認識の変更を起こしたという事件を取り上げましたが、ここからは真っ当な認識の変更の話に移りたいと思います。

ということで、今回は「認識の変更」シリーズです。

私自身が認識の変更(自称)を起こして一番何が変わったのかと申しますと、それは日常でございます。

サラリーマン時代は毎日が満たされず、退屈で、会社に行っては帰ってくるというルーティンを延々と繰り返していました。ただ、そういった虚無感に打ちひしがれる程の平凡な日常も、今ならわかるのですが、自分でそういった日常を進んで作っていたんですね。

例えば、会社帰りに立ち寄った図書館で、同じ書籍を手に取ろうとして偶然指が触れ合った文化系美女とドラマチックな恋が始まらないとも限らないですし、始まったところで誰にも迷惑が掛からないわけです。それなのに、当時の私のエゴはそんなことを夢想することすら出来ないほど、自分や日常に制限をかけ、刺激のない人生を自ら採用し、それを現実に投影していたのです。

しかし、そういったことを含めたエゴによる制限が記憶や思考から来る幻想であると意識し出してからは、曇天だった心象風景に徐々に晴れ間が広がり、視界から入ってくる街や人の彩度が増したように感じました。次第にどんな自分であってもいいという羽を持ったような自由感と、いつどんな場所でも幸運に巡り合ってもいいという解放感が芽生えてきました。これは後付けになりますが、傘に五千円札が張り付いていたのは、そのような認識へ至る序章だったのかも知れません。

そして現在は、毎日が新鮮で飽き足らず、常に今日は何が起こるんだろう「オラ、ワクワクすっぞ!」というカカロット的な心境にあります。だからといって何も毎晩、綺麗なネーちゃんたちを侍らせてシャンパンタワーを築いているというわけではなく、流れに身を任せているだけで〇職のくせに交友関係が広がったり、趣味らしいことになぜだか目覚めたりと、日々新しい展開が開けているという感じです。

これは特段、意識の次元が上がったなどという高尚な話ではなく、誰もが体験しているごくありふれた感覚ですので、それを次回にお話ししたいと思います。

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