「自分=世界」 意図

スピリチュアルで語る「覚○剤やめますか?それとも人間やめますか?」

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正直、当ブログを含めたこうしたスピリチュアルサイトの効用は、その書いてある中身よりも、それを見にきている自身の在り方を明確にできるということが一番なんじゃないかとも感じる今日この頃です。

おそらくこのブログを見ている読者の方々は私の熱狂的なファンを除いて、何も動かない現実を変えたくて、そのヒントか何かを探ろうとして、血眼になって文字を追いかけているんじゃないでしょうか?

つまりは現状の皆さんは、不足感の権化のような人間になっているわけです。そして何か達人の言葉に触れると数時間〜数日は不足感が和らぐも、しばらくすると現実にフルボッコをくらい、また不足感を爆発させてしまうのです。お分かりのように、これはクスリが切れる度にクスリを注入し、一時の激しい渇望感を満たしてはその後に何度も御用になってしまうヤ○中の在り方、つまり田代まさしそのものの在り方なんです。

言うまでもなく、田代まさし的な在り方は俗世でもスピ業界であまり喜ばしくはないので、そうした在り方から足を洗う必要があります。その昔に麻薬撲滅のCMでの「覚○剤やめますか? それとも人間やめますか?」なんて標語が流行りましたが、もちろん前者を止めるのは俗世と業界ともに共通するものですが、この業界に身を置いている方なら、後者の人間も止めるべきかと思います。

実際のところ止めるもクソも本来の我々は俗に言う人間(個人)ではないので、思い出すと言った方がいいのかもしれませんが、とにかく私たち現実の冷たい風に当たるたびに自分がこの世界の神であることを忘れ、ちっぽけな人間という一個人の認識を強固にして行きます。

この広い世界の何億といる人間の一人としての認識であれば、もちろん無力さを感じるのは当然です。圧倒的な現実というものに対して、非力な自分ではどうしようもないと、絶望に打ちひしがれてしまいます。しかし本来は現実やら世界に対して一人の人間として立ち向かうという構図ではなく、私たち自身がその対峙していると思っていた世界そのものなわけです。


世界が自分とは分離されたものと認識していては、世界もそのようにあなたに振る舞って、現実が自分とはリンクしていない固い無機物のように感じます。しかし自分が世界であるという認識に移行していけば、現実がゼリーにように柔らかくあやふやなものに変化します。私たちの内面があやふやなように。

自分が世界という認識とは何だか高尚な響きに聞こえますが、何も「自分=世界を体感しないといけないんだ(泣)」と妙な覚醒を経ないといけないわけじゃないです。何かを追い求めればまた不足を生み出すだけですから、ただ習慣として自分は人間だという意識から徐々に脱皮していけばいいだけです。

我々は俗に言う人間じゃないことはスピ業界の基本中の基本なのですが、私もそうでしたが、案外そこを普段からあまりアプローチしないんですね。常に私たちはこの世界のちっぽけな脇役的な人間として自分を認識しがちです。しかし我々は本来、創造主のような存在なので、存在レベルからの自己に対する過小評価を止めていくことで、自然に正しい主(自分)従(世界)関係が身につき、現実がダイナミックに変化していきます。

重ね重ね体感とか難しく考える必要はありません。日常で漠然と前提としている自分は矮小で無力な人間だという認識を改めていくだけです。あなたは人間を超えたより偉大な存在なのです。

「覚〇剤やめますか? それとも人間やめますか?」。と言うことで、どちらも止めましょう。

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