やはりご報告メールを頂きますと嬉しいと同時に励みにもなりますし、今後もできるだけ記事を更新して行こうとやる気になるのですが、ただそのやる気もエゴの一時的なブースト(躁状態)でありますので、ブーストが継続している間にとっととキーボードを連打したいと思います。
前々回(「願望」が「シナリオ」に変わる時)までの記事であたかも認識の変更(「自分」=「世界」)を体感しないと願望は叶わないと誤解されるのもまずいので改めて断っておきますと、認識の変更をすれば願望実現の仕組みのようなものがクリアになるというだけです。
「自分の内面がそのまま現実になっているでしょ。だったら内面に現れた願望も現実になるよね」ってだけで、その仕組み自体を体感しなくても理屈だけを念頭に「アファメーション」などでエゴ視点からでも力業で叶った意識になることはできるので、シンプルに悟りを求めている意識高い系の方は別ですが、願望のみを実現したい方は必須ではないのでご安心をと言いたいところですが、何だかんだで業界に入ったほとんどの人は一旦は廃人になって悟り系に手を出すことは請け合いなので、もう少しそれ関連の話を書こうと思います。
皆さんはこの業界におけるパワーワード「別の領域」という言葉をご存知かと思われますが、実際に自己観察などを実践する中でその「別の領域」に意識をシフトすることができたと自覚がある方の割合はどれくらいなんでしょうか? おそらくは3~4割くらいかと勝手に想像していますが、ただ私の勝手な推測ですと実践を重ねられた方のほとんどは「別の領域」に達したことがあるはずです。まあ達するというほど大袈裟なものではなく、咽び泣くような劇的な感覚でもないために自覚がないだけで、一度は必ず「別の領域」に足を踏み入れていると思われます。
と言いますか自己観察をした際の意識のポジションがまさにそれなのですが、それだとイマイチ体感が薄いようなので激しい怒りやひどい悲しみなど感情があらぶってしまった時に一呼吸おいて客観的にその感情を俯瞰してみてください。心がフッと軽くなる感覚があるかと思われます。それです。それが「別の領域」と呼ばれるヤツです。
さらに言えば感情だけでなく、その感情と一緒に天井くらいの視点から(想像で)自分という人間(物体)を見下ろしてみると別の領域の感覚が実感しやすくなるかと個人的には思います。自分という人間を第三者の立場から客観的に眺めているような感じです。まさに前々回の記事で言及したゲームの中のキャラ(エゴ)をテレビ画面から覗くような。
始めは就寝前や風呂中の5~10分間を使ってその「別の領域」に浸る練習をしながら、ある程度簡単に「別の領域」にアクセスできるようになれば日中の空いた時間などでも行ってみる(実際に全く難しくないです。意識の中の無風な地点があればそこです)。この別の領域に意識が慣れてきますとエゴの思考をニコニコ動画の字幕のように流せるようになり(「現実という名の「ニコニコ動画」)、その字幕(エゴ)のフィルターによって現実認識を洗脳されていたんじゃないかと客観視でき、徐々に内面が世界にそのまま反映されていたことを知識ではなく体感することができるようになります。
「いや、ワイはずっと実践してきたんやが何にも体感はないぞ」と反論したい方もいるかとは思いますが、私の個人的な経験で申し上げますと自己観察系(無思考、今にある)のメソッドって案外1日で1時間もやってないんですよね。まあ1時間もできれば優秀な業界人な気もしますが(私がただ怠けていただけかもしれません)。中には分散でなく1時間くらいまとめて時間を作って自己観察をするだけでイケちゃう人はイケるような気もします。もちろん「今にある」のメソッド(入り口が違うだけで自己観察とほぼ一緒)でも構いません。
コツとしては「別の領域」に浸ることを願望実現の手段として捉えないことです。願望実現をニンジンに実践をすると自己観察中に「これを続けていたら『既にある』が理解できるんだ…まだか、まだか?」なんて邪念が湧いて来てエゴの立ち位置に直帰することは確実なので、とにかくその心が落ち着く意識の立ち位置に浸ってみる。とりあえず騙されたと思ってただ自己観察自体を目的として実践してみる。引いては趣味にする。すると霞がかっていた視界が徐々に晴れるように「自分=世界」がクリアになって行くかと思われます。