もし過去に戻れるならば、人生のどの時点からやり直したいかという何の生産性もない話がよく食事の席などで出たりします。そこで必ず誰かが「え、今の内面のままで?」ということを口にするのですが、一見何の変哲もないこの発言をよくよく考察してみますと、今の内面を維持しないまま過去に戻ったとしても、その過去において過去であるという自覚がなければ結局は同じ道を歩むわけで、それでは「やり直したい」という質問の前提が崩れることになります。つまり、これはかなり素っ頓狂な発言だと言えるわけです。そう言う私も過去に一度は口走った記憶があるので、これからは気を付けていこうと思います。
それはそうと、実際に今の内面のまま過去に戻れたとして、軽い気持ちで小学生の時などにタイムスリップをしてしまうと、とんでもない目に遭うような気がします。ある程度成熟した内面のままで、あの不条理で珍妙な理屈がまかり通るカオスな小社会に戻るとなれば、これはもうメンタルが持たないのではないでしょうか。つい先日も小学校の高学年くらいの2つのグループが街中で行き会うのを見かけたのですが、
A君「おー、昼飯食ったの?」
B君「まだ」
A君「その通り」
〇職「ファ!?」
私にはA君が『アタック25』の元司会者、故・児玉清氏の親類であること以外にはこの会話を理解できる術がありませんでした。
しかし、このA君のジェネレーションギャップという一言では片づけることのできない意味不明な返しには、スピリチュアル的に見るべきものがあります。なぜなら、このA君の在り方こそが、まさしく内面を主体にした在り方そのものだからです。
どういう意味かと申し上げますと、B君を現実に反応した思考と捉えてみるのです。その思考の声に対して付き合うのではなく、A君のように子供の理不尽さでもってあしらうのです。「デストロイヤー「自愛」さん!!」の記事で自愛を「コミュ障メソッド」と称しましたが、実はA君の姿勢こそが正真正銘のコミュ障メソッドなのであります。
自愛は湧いてきた思考を受け止め、それを認めて許すというアプローチでしたが、A君メソッドは思考を音声としか受け止めず、全く脈略のない言葉で弾き返してしまうのです。このアプローチは、思考は虚構だという前提を特化したものであります。
そもそも思考というものはニュートラルな現実に対して、時間軸を持ち出して未来や過去を引っ張り出してきます。本来は今しかないはずなのに、あれこれと不足や不安を積み上げて現実を濁らせ、私たちはその濁ったもの浄化しなければと色々なメソッドにいそしんでいるわけです。
しかし、このA君メソッドは「~を持っていない」「~をしなければならない」という濁り自体が幻なのだから、それに付き合うだけ無駄というスタンスで、故に内面がブレないのであります。
ただ、そうは言ってもこの不足と手を取って仲良くダンスをしてしまうのが廃人の性です。ですので、A君メソッドがしっくりこない方は不足の思考を一旦受け止める方向に舵を切りましょう。受け止めた上で、思考を
嘘と認定しちゃえばいいのです
これはある意味「完璧認定」と逆をいくもので、湧き上がってくる思考(現実)を意識的に全て嘘と認定付けるのです。認定付けるまでもなく実際は嘘なのですが、嘘と見抜けず苦しんでいる方がほとんどだと思います。ならば改めて嘘と認定していこうという逆転の発想なのであります。アファメーションのように声に出してもいいので、湧き上がってきた思考に「はい嘘、嘘」と属性を与えてやるのです。
思考を反射的に嘘と認定できるようになれば、かなり世界の見え方も変わってくると思いますので、興味のある方はぜひお試しください。