前回の補足なんですが、エゴって否定するものじゃないんですよ。そこら辺でスズメがチュンチュン鳴いていることに怒りも喜びも感じることなく流しますよね。本来はそんな対象なわけです。悪者でもなく、ただ尿意が湧いてくる程度の整理現象、自然現象なんです。そこをまずはきっちりと押さえて頂きたいんですね。
で、エゴってのは基本的に因果やメカニックを求めてしまうものです。「こうだと叶わない」や「こうすれば叶うとか」。そうじゃないんです。本来は「こう」なんです。認識したものがある、で終了なわけです。つまり足し算も引き算も方程式もありません。あるのは答えだけです。
つまりエゴに囚われず流していくことは、因果(分離)の世界を出て、直結(統合)の世界に行くこと、正確には戻って来ることなんです。
潜在スピ子さん「このやり方合ってるかな…。全然手応えがないわ」
○職さん「うん、だから合ってるも間違っているもエゴの範疇に正否はないの。それはただのスズメのチュンチュンであって、本来のあなたと関係ないのよ。あえて言えば既に完璧。いい加減わかろうね」
もちろんエゴを却下している本来のあなたもエゴです(私の捉え方では)。自分という意識です。何も不感症な仙人ではありません。ただし自己や過去から解放された汚れのないバージンエゴです。
そのバージンエゴの感覚はと言うと、エゴと距離を取っていけばぽろっと自己や過去が剥がれて意識が空白やフラットになるポイントがあるかと思います。おそらくそこです。まあ、感覚を求めるのもエゴ(因果)なので、深く考えずにエゴを流していけばいいです。
ということで、こうして言葉で説明するのも体感での理解を遠ざけてしまうんですよね。なぜならこの記事を読んで「なるほど、なんだか心が軽くなるポイントか。これなら上手くやれている」とまた因果を採用してしまうからです。それすらもエゴなんでポイってしてください。
まあ、よくよく考えればこれもアプローチを変えた今にあるでしたね。