また休載……。あ、何もこれは私が普段から口を極めて指弾している『はじめの一歩』のことではなく、週刊少年ジャンプで連載中の『HUNTER x HUNTER』のことであります。この漫画はここ最近、10週連続で掲載しては1年以上の長期休暇に入り、また忘れかけた頃にしれっと再開するというローテーションを繰り返しています。作者の冨樫義博氏は言ってみれば、私がストレスの捌け口としている森川ジョージ氏(『はじめの一歩』作者)の強化版なのですが、その執筆姿勢をあまり批判する気にならないのは、某ボクシング漫画とは違う作品の完成度のせいでしょうか。
自然、単行本の発行も遅々として進まず、約8カ月ぶりに出た31巻の作者コメントでは、度重なる休載のお詫びどころか、
「柿の種 最強。」
という一言で済まし、さらに次巻のコメントで、
「ピーナツが支えていればこそ」
と合わせ技をかましてきた時には開いた口が塞がりませんでした。
しかし、ジャンプ黄金期に少年時代を過ごした私が「ドラゴンボール」や「スラムダンク」を凌ぐほどと評価するその面白さは、当代一級かと思われますので、未読の方は手に取られてみてはいかがでしょうか。
ちなみに私、「柿ピー」がピーナッツ入りの柿の種のことだとは知らず、ごく最近までお菓子(種?)のみを指して「柿ピー、柿ピー」と連呼しておりました。とんだ勘違いでした。
まあ、人生に勘違いは付き物ですが、人間における最大の勘違いは、勝手に湧いてくる思考を自分そのものだと思い込んでいることです。かと言って、自分ではないのかと言うとそうでもありません。その勝手に出てきた思考を採用した時点で、それが自分になると言えます。「『なる』シストへ捧ぐ」の記事でも書いたのですが、本来の自分(意識)とは水のようなもので、採用した器(思考)によってどんな形にもなれるわけです。
ブルース・リー「be water my friend」
〇職「ノー、ノー」
ブルース・リー「who are you?」
〇職「元から水なんすよw」
ブルース・リー「who are you?」
私、ブルース・リーを超えちゃいました。
「別の領域」や「今」は、思考の外に出ることで立てる意識の座標のような説明をされていることがありますが、「別の領域」「今」を感じて認識しているということは、当然、そこには認識の主体があり、「認識をしている」という思考が介在しているわけです。
記憶を採用した「自分は〇〇だ」という思考から、記憶を幻想と見抜き、「自分は〇〇ではなく世界と一体だ」という思考に変わっただけで、その思考の器を満たす水(自分=意識)という連続性は途絶えていないのです。
つまり、どこまでいっても思考(エゴ)の外になんて出れないのです。ただ、既存の思考(エゴ)から新しい思考(エゴ)に器を変えたというだけなのです。そして、その器によって自分(水)が形作られ(定義され)るのです。
要は、
認識の変更=思考(器)の変更
です。
「自分=世界」を体感すれば、それを維持しやすいというだけで、向かう方向はただ、理想の器(思考)へ水(自分=意識)を満たし続けるかなのです。