意図

「夢」と「意図」、住人から創造主へ

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犬の夢みなさま、この寒波の中いかがお過ごしでしょうか。週明けのブラックマンデーで身心ともに凍てつく中、会社に向けて重い足を運ばれたサラリー(ウー)マンのみなさま、お勤めご苦労様です。みなさまは日本人、いや人類の鏡です。近頃インフルエンザが流行っていますので、くれぐれも無理をしないよう、お体に気をつけてお過ごしください。〇職の私も末席に名を連ねます、日本ニート総連合会の全会員が昼過ぎまで夢の住人でいられますのも、一重にみなさまの日々のお勤めのおかげでございます。

おっと、夢の住人とはいささか誤解を招く表現でした。と言いますのは、そもそもこの現実世界が夢みたいなものですので、寝ていようが起きていようが、意識ある全ての人は夢の住人と言えるからです。

この潜在意識業界におきまして、人間が認知するこの世界を例えたものの一つとして「映画」があります。映画の主人公が自分でストーリーが世界だというわけです。その上で世界の変え方として以下のような説明がされています。「脚本通りに進んでいる映画の中で自分をただの登場人物として認識している限り、いくら右往左往しようが、それさえも映画に組み込まれた1コマであり、ストーリーは何も変わらない。現状を変えるためにはフィルムそのものを違う映画に差し替えねばならず、そのためには登場人物という視点を離れ、映画の作り手側の視点に立たなければならない」。要約ですが以上のような感じです。

この視点と言いますのは、思考や記憶など自己という幻想を見抜いた、世界と同化した立ち位置(変質者エゴ)のことです。当然、作り手側なので登場人物からストーリーまで自由にフィルムに撮ることができるというわけです。なるほど、わかりやすいですね。ただ、フィルムを差し替える作業が具体的にどういった感覚であるのかというのが漠然としていて、画竜点睛に欠いている感は否めません。

その部分を補完しているのが、先述した夢という例えです。夢も業界では世界を表す有名な例えです。夢の中には他人もいて、物に触れれば感覚もありますし味や匂いも備わっています。しかし、夢とはあくまでも1人の人間の脳が作り出した幻想世界であり、実際の肉体的な体験などはないのです。それでいて、どんな不可思議な状況にあっても自分が夢を見ているとはなかなか気付くことができません。夢の創造主が自分(自分=世界)であるのにも関わらず、夢の中でさえ自己という認識を強く堅持し、夢の世界の住人の一人として振る舞っているのです。

では夢を変えるにはどうすればいいのでしょうか? 簡単です。夢の中でそれが夢だと気づけばいいのです。明晰夢だと自覚すれば、夢の中の自分の手足をバタバタさせず、ただ単純にこういう夢にしようという意図だけが働くはずです。その視点は夢の中の住人ではなく、創造主の視点です。これが映画の例えで言うフィルムを替えるということです。

夢の部分を現実と置き換えれば、まさしく私たちが今、生きていると思っているこの世界なのです。 ですので、この世界を変えたければ、自己という幻想を脱却して創造主に立ち返り、夢を変えるような感覚で、ただ意図すればいいだけなのです。

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