自愛 「自分=世界」

エゴに勤労感謝する

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私はこのブログでは皆さんに何かを伝える伝道師のような構図となっているのですが、当の私は人様に何かものが言えるほど偉くもないですし、むしろ何のスキルもなく、怠け者で、ほぼ○職なダメ人間なんです。ですから、この状況に少しおこがましさを覚える次第でもあります。

そこに来てコメント欄などを見ておりますと、読者の皆様は互いにサポートし合い、本当に誠実で優しい方々ばかりだと心が洗われます。きっとこれも私の人徳が成せる業でしょう…との冗談はさておき、そんな皆さんがおそらく唯一厳しく当たる対象が自分自身(エゴ)だと思われます。

でも振り返ってみてください。そのエゴと言われる存在は何も道に外れたことはせず(前科のある方がいればすみません)、ただ自分や周囲の幸福のために学び、汗をかき、努力をしてきました。その努力がうまく出来なかった人でさえ、堪え性のない自分の中で懸命にもがいて生きて来たのです。それなのに結果(望んだ現実)がついて来なかったという一点のみでその生き方を否定し、私たちは日頃からエゴを虐待し続けているのです。それも無意識に。

そんなエゴの足跡を今一度、伝記を読むように改めて客観視してみてください。そこにはエゴと言う名の主人公が、ささやかな人生の中で不器用だけれども、健気に、必死に頑張って来た姿が描かれ、必死に頑張れなかった人でさえ、少なくとも自分を幸せにしたい(幸せになりたい)との切実なる意志あったはずです。そうした思いを抱え、もがきながら日々を生きて来たエゴと言う存在を顧みれば、決して貶すに値するものではなく、むしろ愛しさしか湧いてこないはずです。それがあなたの化身なんです。身近であり過ぎるために、そのありがたみ、尊さ、愛しさに私たちは気づけないのです。

「なる」ことが難しかったり、自分を好きになれなくてもいいです。ただ、願望を追う余りに蔑ろにされてきたエゴに気付き、その頑張りを労い、褒めて、感謝するだけでいいです。エゴは斥けるべき外敵ではないのです。あなたのために不足の世界でずっと戦ってくれていたのですから。なので、もうそろそろ「矛を収めていいよ」と優しい言葉をかけてあげませんか? それだけでスピ的な在り方や立ち位置はずいぶんと変わって来るかと思います。

そして、その「がんばらなくてもいいよ」とのスタンス(在り方)は現実として跳ね返って来ては、「がんばらなくてもいい世界」が展開していきます。なぜなら、ほとんどの人はエゴに本当の自分が乗っ取られているからです。つまり「エゴ=世界(=自分)」になっているので、それを逆に活用する形になるわけなんですね。まあ、これも結局、自愛の一言に帰結するわけですが(汗)。

-自愛, 「自分=世界」

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