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「自分=世界」

変わるのは個人ではなく世界!!

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戎橋サッカーワールドカップ・ロシア大会は決勝でフランスがクロアチアを4-2で破り、1998年大会以来20年ぶり2度目の優勝を飾りました。〇職になって初めてのワールドカップということもあり、思う存分に大会を堪能させてもらったのですが、今回観戦をしていて気付きましたことは、「グループステージが一番盛り上がる」ということでした。決して強国とは言えない日本代表の主戦場が主にグループステージになるということを差し引きましても、玉石混淆の各国代表が連日にわたってしのぎを削るその熱気は、チームが淘汰された決勝トーナメントの洗練さを凌駕するものがあります。

その熱気のせいか……いや、ただの便乗でしょうが、大阪の戎橋では日本代表の躍進に理性を失った若者らが大勢詰めかけ、橋が揺れるほどのどんちゃん騒ぎをしておりました。大阪という土地柄、最終的には「六甲おろし」の大合唱というオチもついていたらしいのですが、そう言えば、2002年の日韓ワールドカップの際も、当時の日本代表で当大会のヒーローとなった稲本の名をコールする群衆の声が、

「かっとばせー、桧山!」

と、トラキチの扇動により、気付けば阪神の選手の応援歌にすり替わっていたのには笑いました。

さて、以前に書いた「『実現していない』人なんていない!」の記事などで、私たちは常に何かを叶えながら日常を送っているというお話をいたしました。「なる」系の記事では、常に何かになっているという表現でしたが、言わんとしていることは同じであります。これはすなわち、私たちは何かを創造できる力が既に備わっているということを意味しています。


その創造できる範囲はエゴが言うところの自分(個人)という領域だけではなく、それすらも内包した世界の全てであります。

これは当然と言えば当然で、例えば運動会のかけっこで1等賞を取りたい小学1年生の「潜在スピ太郎」君がいたとします。彼は小学校に入学してからというもの、宿題もそっちのけで日々アファメーションに取り組み、その成果もあって運動会の当日には見事1等賞をゲットいたしました。

ただ、スピ太郎君が1等になったということは、その反面に敗北という憂き目に遭った同走者の児童らがいるわけです。仮にスピ太郎君が潜在意識を活用せずに最下位に沈んでいたとしたら、他の児童らの順位は1つずつ繰り上がっていたはずで、スピリチュアルドーピングでスピ太郎君の結果(選択)が変わったことで、その順位にも影響が出てしまったのです。

これは一見、潜在意識がスピ太郎君個人の結果だけを変えたことで玉突き的に周囲にも変化をもたらしたようにも見えますが、感覚的なことを申し上げれば、潜在意識(「自分=世界」)はスピ太郎君という個人のみを変えたのではなく、他者も含めたその世界の属性(シチュエーション)を変えたということになります。

どうしても肉体があるために「自分=個人」という認識になりがちですが、個人とは自分が創造した世界を具体的に体験する媒体というだけで、それすらもまた世界を構成する一つのパーツなのです。恋人が欲しいと願えば、対象の異性も含め世界が包括的に動き出します(その世界に移行します)。なぜなら、「自分=世界」だからです。そこに自他と言う区別はなく、見えている景色やそこから感じる全てが自分(=世界)なのです。

コメント欄などで度々「他人を変えられますか?」というご質問を受けるのですが、「自分=世界」という認識に立ち返れば、そのエゴ(個人)が主張するところの他人でさえも自分(=世界)であることがおわかり頂け、その質問に対する答えも自ずと出てくるのではないかと思います。

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