「自分=世界」

現実も幻なら、それに反応する感情もマボロシー!!

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メリクリ遅ればせながら、皆さまメリークリスマス。少し目を離した隙に直近の更新日が凄まじい速さで遠のいていきます。では、恒例のお手紙紹介です。さながらラジオDJのような体裁になってきましたが……。

こんにちは。
不思議なんですが、現実は幻だし
内面が現実なら
荒らしもこまけえさんの内側の現れなのでは?
それに感情的になっているのはとても不思議です。
パフォーマンスでしょうか。

これは例の荒らし(?)事件の記事に対するさんコメントです。ありがとうございます。

鋭いですね。パフォーマンスと言えば実はパフォーマンスという側面もあります。荒らし(意図的な荒らしというか、モラルが欠如していただけな感じですがさんに対する反論でナベツネのオチが浮かんでしまったので、それが書きたいがためにわざわざ記事にしてしまったパフォーマンス的な振る舞いだったことは否定できません。それと同時にまた、私が荒らしさんにムカ着火ファイアーを灯したのも事実です。


質問の趣旨は現実も自分の内面(認識)が創ったものなら(実体のない幻)、なぜそんな不快なことをわざわざ創っておきながら、それに感情的になっているのか? つまり自作自演なことを理解しているのに、なぜそれに囚われているのかということでありますが、簡単に言えばウ〇コがしたくなったからウ〇コをしたというだけの話です。

少しややこしいですが、私の内面には荒らしという概念(認識)が存在するので、当然荒らしに出くわすこともあります。ただ、この荒らしも幻であれば、それに反応した私の感情もまた幻なのです。荒らしだけが幻ではなく、一連の流れ全てが私の内側からの現れなのです。荒らしは幻で、それに対する感情は本物だと分離するとこういった疑問が湧いてくるのですが、その全てが幻と捉えれば理解が深まるかもしれません。

荒らしも、感情も自動です。それが現れてきた、ただそれだけです。それ自体は様々な感情も含めニュートラルなのです。もちろんエゴ的には荒らしは不快な存在ですが、それに対してどう対処するのがスピ的には正しいとか、どれが正解であるのか等を考えるのではなく、ただそれを受け入れ、それに対して出てきた自分の感情をいいとか悪いとか判断せず受け入れ、したいようにする。こうであらねばならないと勝手な関連付け、制限を加えるから不足に陥るのです(完璧認定や自己観察とも言えるかも知れません)もっとありのままでいいのです

ごちゃごちゃ思うままに連ねてみたのですが、やや意味不明感もありますので、別の側面から端的に申し上げますと、私は喜怒哀楽を持った人間としての自分を許容(設定)しながら世界を楽しんでいるわけです。ですから笑いたい時には笑い、怒りたい時には怒ります。荒らし事件で言えば、荒らしがやってきた、ムカついた、反論してやったと、感情も含めたそういった景色が流れ、少しそれを鑑賞するような感覚でこの世界を享受しています。

全てを達観した仙人のような人は無感情で常に賢者タイムで過ごしているのかもしれませんが、私はやはり煩悩の塊ですので、エゴ的な喜びや快楽を味わいたいので、日常に一喜一憂しながらかつ内面に制限をかけず生きています

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