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「自分=世界」

心(思考)を空間に設定せよ!! ~斜め上2mメソッド~

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ハート「絶対に負けられない戦いがここにはあるんです! クゥー! どうした、闘莉王!!」。というわけで、今月の14日からサッカーワールドカップ(W杯)ロシア大会が始まるのですが、当サイトも開催中はW杯特別月間といたしまして、サッカーブログへと衣替えをいたします。スピ廃人でサッカーファンの方には二度おいしいブログになるかと思いますので、ぜひご期待ください。そして先日、そのW杯に向けて我らが日本代表23人が発表されました。ハリルホジッチ前監督の突然の解任を受けて緊急登板した西野監督ですが、初陣のガーナ戦ではハリル体制をそっくり引き継いだかのようなグダグダぶりで、これはサムライブルーの陣容にも大鉈が振るわれるのかと思いきや、開けてみればベテラン偏重の無難過ぎる選考でありました。

しかし、西野監督もわかっていないですね。今回は代表に対する期待値が相当に低い分、話題性でもって国民の興味を煽り立てなければならないのに、その機会をみすみすと逃してしまうとは。どうせ中には一度もピッチに立つことがないメンバーも出てくるわけですから、ここは勇気を出して、

「入るのはカズ、キングカズ」

と言ってもらいたかったですね(このネタを理解できない方は「カズ 岡田」でヤフってください)

さて、前回の記事で「心の範囲」(造語ですが)がどうたらこうたらというお話をさせて頂きました。要約しますと、心(内面=認識)とは肉体の内側というごく制限された範囲に浮かんでいるのではなく、この世界全体と溶け合う(覆う)ように漂っているのだという内容でありました。

あくまでも主観的な感覚と断った上で割とうまく説明ができたかなと自負しているのですが、それでもやはり読者の中にはピンと来ない方もいるかと思いますので、今回は上記の体感を促すメソッド的なものをご紹介したいと思います。

自己を自己たらしめているものは、心が肉体の内側から発生し、それが肉体にのみ適用されているという錯覚であります。心が肉体に収まることではじめて自己(エゴ=個人)となり、その個人という枠の中でしか世界を認識することができなくなります。ですから、その心を肉体の外側に追い出せば、自己の構成要件が欠けてしまうので、見えている小さな世界に風穴を開けることができます。


ですので、何か思考が湧いてきましたら、その噴出口(心)が肉体の内側からではなく視界の斜め上2mの位置から発生していると意識するのです。そこに心(内面)があるとイメージして、そこから思考がボコボコと湧き上がってきていると見るのです。

その思考はただ空間に漂っているだけで、肉体には降りかかっては来ず、以前のように肉体の中から思考が染み出してきて、それに同化してしまう感覚も薄くなっていくかと思います。このことから、思考は肉体と決して不可分ではなく、肉体とは独立して浮遊しているのだと気付けます。

思考の噴出口である心(内面)の座標を私は適当に斜め上2mに設定しましたが、これは股間の下でもどこでも肉体との分離がイメージしやすい場所に設定して頂いても結構であります。

では、そもそもなぜ、肉体の内側やその他の空間など任意の位置に心を設定できるのでしょうか? もうお分かりだと思いますが、心には特定の所在がなく、この世界そのものが心の在り様だからです。

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