「Yahoo! JAPAN」と双璧をなすポエムニストお気に入りサイト「YouTube」で動画サーフィンをしていましたら、観月ありさのヒット曲「伝説の少女」になぜか行き当たりました。彼女が14歳というまさしく少女だった頃の作品で、サビの部分が「伝説の少女になりたい」という歌詞なのですが、このパートを視聴していました時に妙な既視感ならぬ既聴感を覚えてしまいました。「最近、耳にしたはずなんだが…」としばし黙考した挙句、答えにたどり着くことができました。と同時に人生の貴重な数分間を返してくれという気にもなりました。
「俺は歴史の男や!」(by 山根元会長)
これが答えでした(爆)。しかし冷静に考えるとかなり笑いのツボを刺激してくる発言ですね、これは。ということでMY今年の流行語ランキングの暫定順位に上記の日本ボクシング連盟元会長、山根明氏の発言が食い込んできました。ちなみに1位は「私の顔は政治的過ぎる」のままであります。
さて、当ブログでは私が感じたことや思ったこと、つまり一〇職の主観を垂れ流しているわけでありますが、どこまで言ってもそれは主観ゆえ、読者の皆さんはそれに一言一句付き合う必要はありません。大まかな方向性であったり、何か自分の感じているフィーリングと合致するという部分だけを掻い摘んでいくのが当ブログの正しい使用方法かと思われます。
私もまとめサイト等の達人が発していたスピリチュアルメッセージの意味を未だ汲めなかったり、また少し自分の意見とは相違したりする部分もあるのですが、自分には自分の認識が正解だとふんぞり返っています。今のところそれで私の世界はうまく回ってくれています。
書籍に書いてあることや達人の言葉に自分の認識や感覚が合致しているかどうかを確認することは、自ら進んでスピリチュアルの迷宮に足を踏み入れていくことになります。確認を求めようとすることは自分の認識が合っているかどうかという不安の表れであり、それは主体性の放棄であります。スピリチュアルの本義は「自分=世界」であり、内面を起点として世界を構築していくという主体性の発露なのです。現実であれ他人であれそこに主体性を預けることは、今までのエゴの在り方と何ら変わるものではありません。
あくまでも「自分=世界」ですから、何か自分なりに新たな認識を掴んだ時に、その正誤を他人に依存せず、それを貫けばいいのです。なぜなら「自分=世界」なのでその認識が正解となるのです。極論ですが「カレーを食べれば願いが叶う」という認識を得た時に、どこかの達人の「ラーメンを食べれば願いが叶う」という言説に会って、達人の言うことは絶対だからと自分の認識を反故にする必要はないのです。「自分=世界」なのでどちらも正解であり、その認識がブレなければそれが世界に反映されるというだけです。
私自身も廃人時代が長引いた要因にこの確認作業による主体性の明け渡しが寄与していたことを実感しています。もちろん業界に入りたての右も左もわからない方は別として、一通り知識を吸収された方であれば、一度外部のスピ情報を全て遮断して、ご自身の感覚を信頼して、主体性を貫いてみてはいかかがでしょうか。