「自分=世界」

全てが外側になると何が起こる!?

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読書「あ…ありのまま、今、起こった事を話すぜ!『俺は漫画を読んでいると思っていたら、小説を読んでいた』。な…何を言ってるのか、わからねーと思うが俺も何をされたのかわからなかった…。頭がどうにかなりそうだった…」読者の皆さんの中で週刊少年ジャンプで連載中の『HUNTER×HUNTER』を読んでいる方はいらっしゃいますでしょうか? 読んでいらっしゃる方がいれば、私の気持ちも少しは理解して頂けるとは思うのですが、とうとう私は挫折をしてしまいました。ここでリタイアです。

話の展開や駆け引き、念能力の説明とやらで絵のないコマに字が充満し、私のデキの悪い脳ミソでは処理し切れませんでした。もはや漫画というより、コマ割りが施された新感覚の小説と言えるでしょう。ご存知ない方は「HUNTER×HUNTER 文字数」でヤフッてみてください。私の気持ちを少しは理解頂けるかと思います。

ということで、今回も質問というかご要望にお答えしようと思います。というか忙しくて、ネタを考える余裕がないので。質問者はりんごさんです。

はじめまして。
ふんわり女子力系がピンとこない私でしたのでしっくりくるブログに出会えて
何度も読んでいます。
それな、と思った文章は手帳に書き込んでいます。
私にはそれが向いてるようです。
心の範囲、私にはわかるようでわからないようで。
これをもう少しつっこんで記事にしていただけたらうれしいです。


はじめまして、りんごさん。「心の範囲? 何言ってんだ」と思っていたら、私の記事の中で使用していた造語だったんですね。ふむふむ、記事を読み返してみたら、こんなことも書いていたなぁと郷愁に耽ってしまったのですが、これはそんなに難しいことではないですよ。ただ、思考(エゴ)と意識(「自分=世界」)など細かく分けると説明もややこしくなるので、ざっくりと書いていきます。

単純な話が、心って目では見えないですよね。とは言っても何だか頭の辺りや胸の辺りにあるような気がする。では頭の中でしょうか。胸の中でしょうか。しかし、手術で頭や胸を開いた時に心が中から飛び出してきたという話は全く聞かないですよね。つまり、心に実体(姿、形)はないわけです。

人間は肉体の中に心があることを根拠に内(自分)と外(誰かや何か)を定義しています。しかし、心に実体がなく、実は肉体とは離れてただその辺に浮遊しているだけとなれば、自分と定義していた根拠がどこかへ吹き飛んでしまいます(心を肉体という狭い範囲だけに適用していたということです)

つまり、自分と思っていた肉体さえも外側になるのです。では内側とはどこにあるのでしょう。はい、どこにも見つかりませんね。一番身近な体でさえ外側となってしまっては目に入ってくる光景や音、匂いのあらゆる全てが外側となります。

おっと、そうなるとまたここに矛盾が起きてきます。外側とは内側という対象があって成立するものですから、全てが外側であるという状態は成立し得ません。ではそれは何かと申しますと、対象のない一つの意識=景色(エゴも含む)が「ただ在る」という感じです(切り口は変えていますが、結局は「自分=世界」です)

簡単に言えば本来、心と物質は別に次元(次元の使い方がよくわかりません。雰囲気で使ってますにあるわけではないということです。一つの世界(意識)の中で溶け合っているのです。視界にコップが入ったことで内面で「ある」と認識することと、ただ内面だけでコップを浮かべ認識することは等価(同じ現象)だということです(その現象をエゴ目線で認識するにはタイムラグがあるでしょうが)

しかし、「現実至上主義者」かつ「五感優先主義者」かつ「世界との分離主義者」、つまり心と物質との間に明確な境界を設けているエゴにはそれが認められないだけなんですね。

で、質問の答えになっているかどうかは不安ですが、そんなとこです。

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