今今メソッド 「自分=世界」

実は常に内面だけで世界を完結している

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ネタもないので、コメント欄から質問をピックアップさせて頂きます。

初めて掲示板に書きます。

自分なりに実践してみて(実践は思考観察と『今』に焦点を当てると言うものです。)何となくですが感覚が掴めてきたんですが、実践前よりも嫌な事ばかりが続き、心が折れるとまではありませんが、少し疲れました。

皆さんもそう言う経験あったりしますか?

byカンタムロボさん

実践をして感覚を掴めて来た頃に現実で嫌な事が続いて来たという事ですが、どこかの達人でしたか、「現実からの試練(挑戦?)」とかいう名称を与えて、嫌な現実は世界が好転する前兆で、そこを乗り越えれば充足の世界が広がる的なことを言っていたので(適当です)、その考え方を採用すれば、実践としては正しい方向に進んでいるのではないかと推測されます。

まあ、これが本当にそういった仕組みなのかどうかは私には分かりませんが(実際に宇宙の真理かも知れません)、個人的な見解ではこれはある意味、エゴを上手く利用した関連付け的なアプローチで、鼻クソをほじくれば願いが叶うといったやり方とそう大差ないものだと考えているのですが、詰まるところは認識=世界なので別に間違いでもありません。むしろ、エゴを突き放せない人にはいいかもです。

ただ、実践することに気疲れを感じるなら、それを継続する必要は却って逆効果なので、別のメソッドをしてみるか、または何もせずにメソッドからフリーになって楽になるかです(これも自愛ですが)。どうしてもこの世界に入るとスピ脳に罹り、実践と現実をやたらとリンクさせて、「今こんな現実が起きたのは過去にあんなことを考えていたからだ」「まだまだ実践が足りないからだ」とか喚き散らし、却って関連付けを強化してしまいがちです。

本来スピの本質は関連付け(「俺はブサイク」=「モテない」など)の放棄なので、「今今メソッドをした」から「嫌な現実が起きた」というのも実は典型的な関連付けなのであります。関連付けの放棄とはすなわち、内面だけでの完結です。

とは言うものの、実際に皆さんは普段から内面だけで完結して日常を生きているんです。内面を世界そのものとして見ているんです。ある建物を学校や会社とし、そこにいる人たちを同僚や同級生などと呼んでいるように、そこに思考(記憶)のフィルターを与えた上で、それをまた内面に取り込んで世界としているわけです。全部、内面での作業なんです。はじめから皆さんは内面だけで完結していたんです。ただそこに現実(記憶)に対応した異物(思考)を混ぜているから、世界は内面だけで完結していないと錯覚しているに過ぎないんです。

で、スピリチュアルの本質というのは本来内面だけで完結するんだから、そんな現実(記憶)からの影響を受けずに(わざわざ関連付けせず)、エゴ的に言えば妄想だけで世界を作りましょうという事なんです。

そんな感じでご質問の回答としてはあらぬ方向にまとまらない話になってしまいました。と言うのも、最近は瞬間的なパッションだけで書いている始末なので、構成とかは粗くなりがちであります。誤字などもあるかもですが、そこは読者の方もパッションだけでスルーしてください。

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