アルファポリス

願望実現「Mr.長嶋(感覚)」編

エゴから創造のテクニックを学べ!!

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オカルト自転車タバコはマナーという点では褒められた行為ではないですが、ニコチンを欲する喫煙者の衝動としては理にかなった行為であります。自転車スマホも然りで、安全性という側面では看過できないものがありますが、地図の確認に駆られたと思えばその行動心理は理解できます。ただ、自転車読書というアクロバティックな曲芸だけにはどうしても私の頭では理解が追い付きません。読者の皆さんは「そんなヤツがいるか? また〇職の作り話だろう」とお思いでしょうが、私は数年前に、颯爽と自転車を漕ぎながら、片手に開いた文庫本を口元に据え、前方を確認しては本に目を落とすという非生産的な行為をしていたメガネ男子を確かにこの目で見てしまったのです。

そのような不安定な環境で他人や自己の危険を冒してまで、なぜ彼は執拗なまでに読書に貪っていたのか? むしろ、ここで着目すべきは彼にそのような暴挙を強いたその書籍についてでありましょう。一体どれほどの名著が自転車に跨った後にまでその物語世界から人の心を離さないのか。是非、その名著を一読してみたいものですが、私にはもはや書名を知る術はなく、あれこれと推測を重ねる他ないようです。ただ、

ハーレクインだったという可能性も否定できません…

ハーレクインシリーズを知らない方はヤフってください。

それでは、ここからオカルトモードに入ります。何もスピリチュアルを揶揄してオカルトと称しているわけではありません。今回はガチのオカルトであります。

読者のヌートリアさんとさんから占いや霊といったオカルトチックなコメントを頂きましたので、それについて私なりの見解を書いてみたいと思います。

幼少の頃に父親が病気を患ったのですが、まだ健気で純真だった私は駄菓子屋で買い物をした帰りに、あえて残しておいた50円玉を近所のお地蔵さんの御前に供えて父親の快癒を祈りました。すると、それから数日して父親は回復し、何事もなかったように仕事に復帰いたしました(本当の話です)。私の無垢な祈りが仏様に届いたのかどうかは判ずることはできませんが、当時の私はお地蔵さんに対して万能の神のようなイメージで接していたことは事実であります。ここにあえてスピ的な解釈を持ち込むのなら、「お地蔵さんは万能だからお願いすれば何でも叶えてくれる」という関連付けが働いたとも言えます。

占いや心霊現象に関しても結局はこれに当てはまるのではないかと思います。例えば、占いを信じているAさんと全く信じていないBさんが占い師から似たような予言を受けたとして、Aさんは占いは当たるという認識(関連付け)の下、予言の通りに世界を創造してしまいますが、Bさんの方では予言などは商売上の戯言だと気に掛けず、すぐに忘れて何事もなかったようにやり過ごすのではないでしょうか。


霊もやはり、霊感があると自負している宜保愛子的な気質の人には見えてしまうでしょうし、ドウェイン・ジョンソンのような脳まで筋肉が達しているような人には見えないでしょう。呪いも同様に、藁人形に釘を打つことで現実に何か作用を起こせるという強固な関連付けがあるからこそ、世界もそのような認識に沿って展開していくのではないでしょうか。

要は占いも霊も呪いも全部自分の演出で、自分でルール(関連付け)を作って、そのルールに沿って見たい世界を見ているのです。これは何も特定の場面に限った話ではなく、普段の我々の在り方そのものであります。私たちは記憶や常識からルールを形成して、そのルールに従ってエゴ(自己=個人)を導き出し、それに同化しているのです。

つまり、何もないところから関連付けによって「潜在スピ子」というエゴを巧妙に創造しているわけですから、その巧妙な創造のテクニック(無意識に関連付けをする習慣)を詳細に観察して、それを理想の自分の構築へと応用すればいいのです。また、オカルトのようにあえてエゴの上から関連付けをプラスして、何かの行為(祈祷でも呪文でも)と願望実現とを強く連関させるのも全然ありだと思います。

 

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