羽生の1勝1敗。
昨日のニュースを短く要約してみました。平昌五輪ではフィギュアの羽生結弦きゅんが見事に金メダルをゲットしたものの、将棋の羽生善治竜王が中学生棋士の藤井聡太六段に苦杯を喫するという、全国の「羽生」を姓とするみなさんにとっては悲喜こもごもの慌ただしい一日となったのではないでしょうか。
一つ私が懸念しますところは、これによってますます「はにゅう」派の勢力が伸長し、旧主流派の「はぶ」一派を圧迫しかねないかということです。居場所を失った全国の「はぶ」派の高校生が、大学デビューに際して自己を「はにゅう」だと偽り、「はぶ」としての誇りを遺棄するという悲劇が多発することも否定できません。
そんな事態を避けるべく、ここで私が「はぶ」派の指導部に、勢力挽回を図るための一策を献じたいと思います。それは、4年後の北京冬季五輪までに羽生竜王に肉体改造を施し、フィギュアという同じ土俵で5回転アクセルを成功させ、羽生きゅんの3連覇を阻止するのです。羽生竜王の文武における衝撃の2冠は、「羽生」の勢力争いに均衡をもたらすことでしょう。
さて、冗談はこのくらいにしておきまして、読者のみなさまは記事のタイトルにまたしても終了したはずの「金と女が降ってきた物語」のシリーズ名が冠せられていることをご不審に思われていることかと存じます。理由を申しますと、実はある読者さまからもう少し詳しく書きたまえとの指令が下りまして、番外編と銘打ち最後っ屁をかます次第となりました。
はじめましてYOSHIさん、1月の頭から当サイトに訪問頂いているということで、感激の至りでございます。あの当時は本当に読者がいるのかと、涙のシャドーボクシング時代でした。当ブログにコメントをくださった史上2人目の方ということで、あいにく銀メダルという波動(拳)になりますが、よろしければお受け取りください。ご要望の件、いつもネタを考えるのが億劫でしたので、私にとりましてもまさに渡りに船、さっさく拝受させて頂きます。
前回の記事で美女と偶然の遭遇を果たした後のくだりで「それからトントン拍子に事が運んでいき」と簡単に書き、現在にいたるまでの経緯を省略したのですが、そこを割愛せずもう少し詳細に書いて欲しいということですね。承知いたしました。
実は前回の記事を執筆している段階ではその辺りのことも書いていたのですが、書き終えて校正を始めた時に全体として冗長な感じが拭えなかったので、その部分をあえなくヨガテレポートしてしまいました。ただ、その後の展開自体はそれほどドラマチックな話でもないのでご期待に沿えるかもですが、スピリチュアル的な考察も含め、もう少し掘り下げてみたいと思います。
なぜ、「それからトントン拍子に事が運んでい」ったのかと申しますと、表面的な理由としてはごくシンプルなものでした。結論から申し上げますと、彼女の側も私のことが気になっていたらしいのです。ですので、私の挙動不審かつ唐突な誘いにも「別の日だったら」とヒョイヒョイと乗ってきたわけです。
そして、何回か食事を重ね、彼女は私とは他都道府県(場所の特定を避けるために)に住み、新しく配属された勤務先も私の家からの方が近かったため、それにかこつけて「泊まっていけば」と白々しく自宅に誘ったのが、彼女が私の所に通い詰める最初で、「付き合う、付き合わない」などの話は特になく、ファジーな関係のまま現在にいたっております。
ただ、当ブログはいわくつきのスピリチュアルブログでありますので、そういった現実的な経緯よりも、フォーカスすべきはなぜ彼女が冴えない私のことを気になり出したかという目に見えない部分の方だと思います。
つまり、彼女の内面の変化は、私の潜在意識さんの波動拳の干渉を受けたか否か、そこにYOSHIさんを含めた当ブログの読者のみなさまの強い関心があるかと思います。
ですので、それについて次回、ブログのことは悟られないように彼女へ改めて取材し、あくまでも私の個人的な解釈と推測であるということを断った上で、書いてみたいと思います。