「自分=世界」 俗に言う「認識の変更」編

世界は「既にある」の連続!!

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凝視前回も言及いたしましたが、肌寒くなってきますとおでんの香りが妙に食欲をそそります。先日、いつもの如くフ〇ミマに行きまして、適当にスナックなどを手に取りレジに向かってみますと、プ~ンとおでんの芳香が私の鼻を極度に刺激するではありませんか。見るとレジの手前右側におでんコーナーなるものが据えられており、例の居酒屋と違って私の好きな「たまご」と「しらたき」の姿も見受けられます。実は私、今の今までコンビニのおでんを購入したことがなく、この時に初めて食べてみようかと思い立ったのですが、その刹那「あれ? これは店員にお願いをするのか、それともセルフなのか?」との疑問が立ち上ってまいりました。

誰かがセルフで掬っていたのを見た記憶もあり、「おそらくセルフなのだろう……しかし、店員に先に断ってから掬うのか、それとも先に掬ってからレジに出すのか?」「いや、待てよ。セルフなのは別のコンビニだったのかも知れない。ここは店員に聞いた方が無難だが、『そんなことも知らねえのか、プププ』と内心で小バカにされそうなそうな気もする…ぐぬぬ」と、この間0.2秒の思考を巡らせた後、「しかし、私は今無性におでんが食いたい……思い切って店員に告げるんだ……」

「フ〇ミコ〇1つ」

今回はひとまず引き下がってネットで注文方法を調べてから次回にトライすることにいたしました。近所のコンビニに行くのにもスマホは必須であります。

さて、コメント欄を見ておりますと、相変わらず皆さんは謙虚でございます。長文になりそうな場合や他愛のない雑談、または連投など、まず初めにお断りをしてからご丁寧に書き込んでおられます。一応は私の個人サイトではありますが、ヘイトスピーチや自作の官能小説(お問い合せから個人的にお送りください)等でなければ、遠慮なく思うがままに書き込んで頂いて結構でございます。

それにつけて思いますのは、やはり皆さんはスピリチュアル生活においても謙虚過ぎるということです。何々をしてからでないと何々になれないと、すぐに因果や辻褄を考えてしまっているようです。俗世では実に誠実で真っ当な生き方ではあるのですが、その生真面目さが仇となってスピ業界に足を踏み入れてしまったとも言えるわけです。


なぜ踏み入れたのかと言うと、その因果や理屈を飛び越えて魔法のように願望が実現するという情報をどこかで聞きつけたからであろうかと思います。これはまさにその通りで、スピ業界ではそもそも因果なんてクソくらえという風土がありますので、そこでずっといい子で謙虚のままではのし上がってこれないのです。

その中で唯一受容しても構わない因果は「自分=世界」、つまり自分の内面が世界にそのまま反映されるという真理だけです。その他の細々とした因果、例えば「仕事をしなくては食ってはいけない」などといったものは、「自分=世界」という因果の中でのエゴによる関連付けであります。よってわざわざそのような関連付けを謙虚に行う必要性はないわけです。

ただ、この関連付けも所謂「既にある」なのです。なぜか人は苦しい(不足の)関連付けに対してだけは現実には起きてもいないのに強烈なリアルとして眼前にあるかのように認識しています。すなわち、不足の状態を「ある」ものとして認識しているわけです。充足が「ない」のではありません。

皆さんはこの不足の「既にある」に関してだけは妙に達人なのですね。なぜかと言えば、目に見える現実(五感)に沿うものだからです。しかし、現実もまた認識、故に実体のない虚構です。ただその虚構が不足の認識を強め、「既にある」レベルまでに引き上げているのです(厳密に言えばもともと「ある」から現実に見えなくても「既に」認識として捉えられるわけです)。すなわち現実の実体としての不足はなく、不足であるという認識が独立して在るだけなのです。そして、その「ある」が世界に現れるのです。

こうして不足を軸にして見ればわかるように「既にある」という感覚は日常に自然と溶け合っているわけで、そもそも内面(世界)とは「既にある」(認識)の連続なのです。充足も構造としては全く同じで、ただ現実が不足と違って向かい風になるというハンデになるだけです(それが大きいとも言えますが)。不足にしろ充足にしろ、それを思い浮かぶ時点で既にあるわけで、そのいずれに焦点を当てているかです。

「自分=世界(別の領域)」や「今にある」ことは、その現実という向かい風がなくすことで、充足を不足と同じくらいリアルに感じることができるのです。ただ、エゴ的な立ち位置からでも「既にある」の意識を貫徹したことで、充足をリアルに感じ、願望を実現させた人もいますので(どこかのまとめサイトで見ました)、もちろんワンネス体験が必須ということではありません。ただ、焦点を合わすだけです。

少し暇な方は会社帰りのわずか3分程でもいいので試して頂きたいのですが、見えている現実の、人の流れでも並木でも結構です、何か一点を集中しながら眺め、自分の五感を含めてこれは既に叶っている世界だと意志を持ってリアルに強く思い続けてみるのです。生活しながら漠然と意識するよりも短い時間で強く意識する方が案外、充足の「既にある」の実感が促せるのではと最近思った次第なのでご提案させて頂きました。効果がなければすみません。

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