「自分=世界」 意図

「淡々と」とは賢者タイムではありませんよ

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前回に「淡々と現実を見ているだけ」的なことを書きましたが、何も常に患者タイムにあるかのように冷めた視線で現実を見ているわけではないですよ。嬉しいことがあればヤッホーイってなりますし、嫌なことがあればプンプンします。ただそれはただ起きてしまったフィルムの一つのコマであって、これからの現実に何一つ関連していないことを知っているので、あまり執着することがないという感じです。簡単に言えば引きずらないってだけです。

つまり目の前に展開された一つの現象をゴール(答え)としてないだけなんです。例えば、前のコロナの話の続きで言えば、仮にそのまま失職してしまったとします。ここで「あー、もう絶望だ」なんて思ってしまいがちですけど、そんなわけはないんですね。たかだか目先の収入がなくなっただけで、人生が終わるはずもありません。それをゴールと認定しない限りゴールなわけはないんです。その失職が実は夢への8合目であるのに、わざわざそこにネガティブなゴールを設定して、内面を汚染してしまうんです。現実なんて自分の肉体も含め、ただの景色です。それはそれで喜怒哀楽を感じながら、一呼吸置いて自分の向かいたい方向だけ見据えていればいいだけなんです。

私の個人的な話で言えば、美女社員(誰だそいつは?と思った方は金女シリーズをご覧ください)が異動をした時には連絡先も知らなかったので、現実の現象をエゴとして評価するならば、付き合うどころか今後はもう会うことすらもないと考えるのが自然です(というか、私も会社を辞めるのでそう思っていましたが)。でも、私は再会するどころか結婚まで行っちゃったわけですから、一つの現実の景色に答えなんてないんですよ。答えがあるのは内面だけです。

ここにもう一つの参考例として、私の知り合いにリストラにあって、その後ヤケを起こして貯金で趣味に没頭しているうちに、その趣味で事業を立ち上げてセレブになった人がいます。実はこの人の生活を側から見てて、私も悠々自適なセレブになりたいとの思いを強くしたきっかけの人物でもあるんですが。

ちなみに私がしがないリーマンだった頃、自分からはさすがに辞める勇気はなかったですが、「お前はクビ」と言われれば、躊躇なく辞めてもいいくらいの心境でしたね。何のスキルもなく辞めたところで食い扶持はなかったのですが、それほどつまらない日常に嫌気が差していて劇的な変化を求めていました。

ということで私みたいな心境の人にとっては、このコロナは人生を変える大きなきっかけにもなるかも知れませんね。

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